『Viva La Vida!』

人生を楽しもう! 「生」って素晴らしい  限り有るからこそ「生」は尊く美しい

経年変化と経年劣化。頭髪の考察。

もし人間が、幼少の頃には頭に毛がなくて、10代後半くらいから薄っすらと頭髪が生えてきて、年をとるとだんだん髪の毛が濃くなるというものだったら・・・

どんな世界だろう。

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髪の毛がフサフサと生えてくることに老いを感じ、アンチエイジングとして脱毛に通うのだろうか。

頭髪を目立たなくするように脱色剤も売れるだろう。

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若者に共通の項目、年寄りに共通の項目を認識し、経年変化を劣化とみなすのだろうか。

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たまたま宇宙の端で出会った異星人が、元気なヤツだったら、それはどのような格好をしていようとも「若者」と見えるかもしれないし、弱ったヤツだったら「年老いた異星人」と見てしまうのではないか。

公人の性癖

「仕事とプライベートは分けて考える」という考え方は特別なことではない。

恋愛についても、誰が誰を好きであろうと、仕事とは関係ない。

しかし『不倫』となると、プライベートとは言え、仕事にも影響が及ぶ。

法に触れるからだろうか。

例えば国会議員が不倫をしたら、叩かれ方は尋常ではない。通例では進退問題だ。

法に触れない趣味嗜好なら、他人にとやかく言われる筋合いはない。

人は魅力ある方へ流れる

『水は低きに流れ、人は易きに流れる』なんて言ったりする。

出どころは孟子の「低きに就く如し」という言葉らしい。

でも、人って本当に易い方だけに流れるのかな?

わざわざ苦労することでも多くの人が惹かれる事って有るのでは?

こういうのはどうだろう。

『人は魅力ある方へ流れる』

楽なことが魅力だと思えば楽な方へ流れる。易いことが魅力だと思えば易い方へ流れる。

しかし楽な方、易い方ばかりが魅力とは限らないのだ。

魅力ありと思えば、面倒を乗り越えてでも進む。

それこそが人を引く力、すなわち魅力なのだと思う。

低きに流れるただの水とは違い、人は引力の強さに応じて高きに流れる。

インスタとかの最近のSNSを見ていてそう思う。

「いいね」も魅力の一つ。

かなり強力な引力を持っているものと思われる。

 SNS映えする写真のために、休みの日にわざわざ出かけるのも魅力ある方へ流れる現象。

その魅力のためには「出掛ける」、「金を使う」、「集まる」、「時間を使う」など、様々なハードルを乗り越える。

 

魅力はあっても、そこへ向かうには労力が必要だ。

綺麗になりたい、若くありたい、いいねと言われる写真をアップしたい。

そう思う心が魅力ある方へ動く原動力となるんだ。

原動力が大きいほど大きな坂を登ることが出来る。

動力が強くないと大きな障壁は乗り越えられない。

そんな関係に似ていると思った。

 

モテたい気持ち、認められたい気持ち、イイネが付くのを有り難がる気持ち。

やりすぎは鼻につくが、大なり小なり誰にでも有る気持ちじゃないかな。

人にはそういう心がある。

心理学とかで出てきた「承認欲求」と言われるものだ。

その欲求が動力となる。

ツイッターの流行り廃り

twitterの流行りの後、facebookがドーンと拡大した。
日本以外の世界では逆らしい。facebookの方が流行った後に、twitterに移行した。
日本にはmixiがあったからfacebookが出遅れたのか。

ツイッターで1万人ものフォロー、フォロワーを持つことって。
まともにツイートを読んでいるとは思えない。
たまたま開いた時に呟かれたものしか目にできないだろう。
そんな世界よりフェイスブックだということになったのか。
ツイッターは廃れ、今はフェイスブックが来ている。

思わぬ繋がりが有るのもtwitterだが、そうそう思わぬ繋がりもそうそう安々と起こるはずがない。
虚しく呟き放つだけの現象に飽きたのか。

やはり人は他人からの反応を待っている、期待しているのではないか。
たとえ「いいね!」一つでも、何か反応を期待しているのではないか。

欧米がfacebookからtwitterに比重が移ったのは、facebookがあまりに身の回りのシガラミに縛られるからだという。
いま、日本では、近場のシガラミで楽しんでいる。
しかし、遠からずそのシガラミが煩わしくなる時期が来るだろう。

facebookでは、職場の手近な繋がりが濃すぎて、プライベートな出来事のアップがし難くなっている。
当り障りのない記事の数々。

政治でも文化でも宗教でも事件でも、「この事」について自分はどう思っている、などという投稿は数少ない。

「政治と宗教と野球の話はするな」
人との対立を避ける日本人の知恵だった。
野球の話は出てきている。政治の話しはまだ少ない。宗教の話は皆無に等しい。

教育って、大事だな

あー久々の記事。
しばらくツイッターFacebookに明け暮れていたからな〜

そりゃそうと、北方領土とか竹島問題とか尖閣諸島の問題とか。ほんとに外交的な問題が一度に迫ってきた感じ。
偶然か?

竹島の問題の話しで言えば、双方とも「この島は我が国固有の・・・・」って言っている。
僕は、竹島はもちろん日本の領土だと思ってるけど。
信じこまされているのは僕の方なのか? 
日本固有の領土って言われても、そんな教育はされて来なかった。
マスコミやネットで言われてることを信じているだけなのか。

固有の領土って何?  こんな人の住まない所を固有の領土って主張。有るの?
例えば、代々その島の住人が全員日本人で、日本語を話しているなら、その島は固有の領土って言えるだろうけど。
そこへ武力で不法占拠しだしたのが竹島なの? ちょっと違うんじゃない?

日本は領土を拡大しようと侵略戦争を仕掛け、戦争に負けて、領土を失った。
敗戦時に条約で認められた場所が、契約上の日本の領土でしょう。
それまで、どんなに何世代も日本人が住んできた土地であっても、敗戦国から剥ぎ取られた土地は、もう日本の領土ではない。
どこを失い、どこが残ったの?

その条約を示せば良いだけじゃないの?
その条約を、日本の国民に教育してる?
その条約では、竹島はどうなってるの?

サイパンは、日本の植民が村を作って住んでいたし、日本軍も守っていたところ。・・・敗れたけど。
サイパンを「日本の固有の領土」とは言わない。
遠いから? 局地戦で負けて奪われたから?

第二次世界大戦より前に、支配してましたとか命名したとか昔から管理してましたとか。意味が無い。
Wikipediaポツダム宣言の項目を見てみた。
『日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに吾等の決定する諸小島に限られなければならない。』
これを受諾している。
諸小島が問題なんだな。

細かく規定しているのは1951年のサンフランシスコ平和条約かな。
内容はほとんど知らない。
Wikiに書いてあるようなことをチラチラ見ただけだけど、英語版も韓国版も、同じ内容なの?
竹島については放棄を宣言してないけど?
韓国じゃどういう教育をされてるの?

条約や協定をまるで無視して、或いは破棄して、武力攻撃を仕掛けるのが戦争だからな〜
戦争で領土を広げても仕方がないし、失うものも多々有るし。後の世に禍根を残すし。
侵略戦争はやるもんじゃないな。

社会保障と税の一体改革

人間、長生きすれば、金がかかる

平均寿命が伸びた。医療費、福祉費が増加するのは当然。

定年60歳、年金は65歳から、という制度は、男性平均寿命66歳の時代に出来たもの。

いま、平均寿命は伸びているのに、定年はそのまま。年金は徐々に先送りの措置。

平均寿命79歳なら、定年72歳くらいが妥当じゃないのか。そして年金は75歳からとか。

天下りがどうこう議論する前に、本当は日本人はもう少し高齢になるまで働けるんだって。
なぜ働ける年代にピリオドを求めるのか。

「老いては子に従え」の様に、老いては部下に従う社会も大事だ。
元上司が、徐々に降格して部下になる会社構造も有ってよい。昔の武士の世界もそうだったじゃないか。
武士の世界は、戦働きの実力主義。実力が落ちれば降格して当然。実力ある者が上司となるのは当然。

一度上司だったものが、いつまでも上司だから、定年の年齢が引き上げられない。
一旦上がった給料が下げられないから、定年で一丁上がりにするしかない。

余力があるのに、定年で打ち切るから、天下りなんてものが跋扈する。

まだ労働力が有る年齢なのに、早めに労働打ち切りにしたら、下の働く世代に負担がかかるのは自明。
リタイヤ後の人生が長すぎる。

天下りをなくすためには、
定年年齢をもっと高く設定して、ピークを過ぎたら徐々に降格・減給していけば良い。
その上で、ベテランが高級で他の官公庁関連施設に引き抜かれるのは、ヘッドハンティングされるべき人。

社会保障と税の一体改革というけど、まずコストが増加することは認めようよ。金がかかることは知ろうよ。
金がかかる事は認めた上で、金の集め方は手段の議論。
消費税その他、税制は方法論。
天下り問題も、現象の側面を見ているだけだ。
「無駄を省いた上で増税の議論を」と言うのも、「コスト増加の社会」の潮流を思うと枝葉末節の話しに思えてくる。

「若い世代にますます負担が多くなっていく」という言葉は「年寄りがますます長生きになっていく」という言葉と等しい意味だ。

すなわち「若い世代にあまり負担が増えないようにしよう」とは、「年寄りがあまり長生きしないようにしよう」ということだ。

長寿社会を望むのか。それは幸福な社会なのか。

町へ出よう

11月26日。
ひんやり寒い朝だけど、日差しは温かい。
部屋でチーンとしてると寒いけど、片付け物などしているとそれほど寒さも感じない。
外はいい天気だ。

『書を捨てよ、町へ出よう』なんて昔の人が言ってたな。
捨てなきゃならないほどの書に浸かっているわけでもない。

『書類を捨てよ、町へ出よう』 これなら合うか(笑)
でも書類も好きで積んであるわけじゃないから。

『テレビを消せ、町へ出よう』 そうかも知れない。

『ネットを切れ、街へ出よう』 あー、このニュアンスがピッタリだな。
街へ出ても、スマートフォンが繋げてしまうけど(^^;